※ 此翻譯為個人練習用,若有錯誤歡迎指教。
希望から一番遠いところで響く歌。
神山羊のオブセッションと現在地。
從希望抵達最遠處響徹的歌。
神山羊的願景與現在。
年齢的には、大人ですよ(笑)。でも、精神的にはまだまだですね。
-神山羊不太公佈自己的情報呢。
年齡的話是大人唷(笑)不過,精神上還很年輕呢。
−音楽遍歴について教えてください。
学生時代からインディーズでバンドをやっていたんですけど、それがだんだん本業になっていった感覚です。
-請告訴我們你的音樂歷程。
學生時期就在獨立樂團裡擔任鼓手,不過感覺上漸漸變成本業了。
−どんなバンドをやっていたんですか?
ジャンルとしてはシューゲイザーですね。マイブラとかが大好きで。当時は残響レコードというレーベルのハードなロックバンドが人気だったんですけど、シューゲイザーはなかなか受けるジャンルではなかったですね。
-那是怎麼樣的樂團呢?
類型的話是Shoegazing。很喜歡像是My
Bloody Valentine那類的樂團。當時像是殘響Record那類的硬式搖滾樂團很受歡迎,但Shoegazing還是不太被接受。
−残響レコードといえば、THE NOVEMBERS、cinema staff、the cabsとか。大好きでした。
まさにそうですね。cinema
staffはバンドをやっていた時の先輩だったんですよ。僕は残響レコードに属していたわけではないけれど、近いところにいて。
-說到殘響Record的話,很喜歡THE
NOVEMBERS、cinema staff、the cabs這類的樂團。
正是如此。cinema staff是還在玩樂團時的前輩呢。
雖然我不是殘響Record的一員,但也很接近了。
−さらにルーツを遡って、どんな思春期を過ごしましたか?
中学2年生ぐらいで近所のボロボロの中古ギター屋さんがあったんですけれど、そこでギブソンのコピーモデルを買って弾いていました。エピフォンでもない、ギブロンみたいな(笑)。
-讓我們再更往前追溯,青春期是怎麼渡過的呢?
國中二年級左右,離家附近有一家很老舊的二手吉他店,在那邊買了Gibson的仿造品。並非是Epiphone的吉他,而是像Gibson的(笑)。
註:Gibson是美國一家製造吉他的公司。Epiphone則是他旗下的子公司。ギブロン或許為訪問者誤植,猜測原文為ギブソン。此句推測為神山羊購買的仿冒品並不是模仿Epiphone的產品,而是模仿母公司Gibson出產的產品。
−怪しくて安いギターですね(笑)
まさにそうです。当時はBUMP OF CHICKENとかアジカンとかが流行っていてコピーをしたり、ラリー・カールトンってジャズとかフュージョン系のギタリストやエリッククラプトンを真似て弾いたりもしました。ハードロックも好きで、ディープパープルも弾いてましたね。中学の頃は、家でずっと弾いてました。人といっしょに何かをするのがあまり得意じゃなかったんです。絵を描くのも好きで、ややインドアな生活でしたね。
-便宜到很誇張的吉他呢(笑)
正是如此。當時會模仿流行的BUMP OF CHICKEN或亞細亞功夫世代等樂團,或是模仿爵士樂的賴瑞‧卡爾頓、融合爵士樂的吉他手跟艾瑞克‧克萊普頓等人。因為喜歡硬式搖滾,所以也會彈奏Deep
Purple的歌曲。國中的時候一直在家裡彈著。我不太擅長和人一起合作,不過也滿喜歡繪畫的,算是居家派的吧。
−自分の内面的な世界と向き合うみたいな。
自分の中でいろいろ作りたいっていう欲はずっとあって、その時は漫画を描きたい、小説を書きたいとか思っていました。そういう衝動が自分の中にずっと残り続けていて、形を変えながらも常にそこにあるという感覚ですね。バンドを始めたのは、高校に入ってからです。
-感覺像是要找出自己的內心世界那樣呢。
心裡一直有著很想創作很多事物的慾望存在,回想起來那時候挺想畫漫畫或寫小說。這類的衝動一直殘存在心裡,即使改變了創作型態也總是存在於那的感覺。開始參加樂團的話,是從上了高中開始的。
−何かを表現したいという思いを持つきっかけについて、何か覚えていますか?
幼稚園に通っていた頃、紙粘土でオブジェみたいなものを作ったらそれが好評で、「うちの子にもちょうだい」みたいに友達のお母さんに言われたんです。自分の作ったもので人が笑顔になって、自分を必要としてくれたことが、すごく嬉しくて。それが「何かをつくりたい」という気持ちに繋がってるのかもしれません。
-有沒有什麼關於「想要表現某個念頭」的相關回憶?
-就讀幼稚園的時候,用紙黏土做了類似立體雕塑類的東西然後獲得了好評,被朋友的母親說了「也給我家孩子一點吧」之類的話。自己做的東西能讓人開心,讓我獲得了被需要的感覺,非常的開心。那就是關於「想要創作些什麼」的心情也說不定。
−ポジティブなモチベーションがずっと続いているんですね。
いや…それは少し違うんです。何て言うか、僕、本当に、社会不適合者だなってずっと思ってるんです。
-持續著非常正面的動機呢。
不…稍微有一點不一樣。該怎麼說、我一直認為、我、真的、很不能適應社會。
−詳しく聞いてもいいですか?
大人になって、会社をやめて、人とのつながりがない生活を送っていた時期があるんですけど、DTMという音楽制作をするための機材を手に入れて、部屋で一人で延々と曲を作っていました。そのうちに、弟がニコニコ動画のことを教えてくれて、初めてVOCALOIDを知って、やばい!と思いました。ボカロもニコ動も全く詳しくなかったけれど、ボーカロイドソフトの「初音ミク」を手に入れて、それが「退紅トレイン」っていう曲につながるんです。ニコ動にその曲を投稿したのは2014年だったので、5年前ですね。
-可以更詳細的說說看嗎?
長大成人、從公司辭職,有著沒跟人聯繫的日子的時期,不過為了製作稱為DTM的音樂而購買了機材,一個人在房間內不斷地作音樂。在那之後,弟弟告訴了我有關NICONICO動畫的事,第一次知道VOCALOID,覺得超酷的!V家或NICO動畫也好全部都不清楚,仍然購買了VOCALOID軟體「初音未來」,那就是跟「退紅トレイン」這首歌有關。那首歌在NICO動畫上投稿已經是2014年的事了,五年前了呢。
註:DTM(デスクトップミュージック)電腦音樂
−インターネットのカルチャーにもともと精通していたわけでもなく。
-並非本來就很熟悉網路文化這一塊。
完全不熟呢。不如說很生疏。樂團、Live House、自製CD之類的,雖然也算在這類的文化圈裡,但是對於Vocaloid也好、Niconico動畫也好、動畫也好,全部都不懂。留言、播放次數,說真的非常不了解。也有想過「為什麼要給不認識的人作的歌曲留言…?」對於Vocaloid圈的人來說,我大概是很少見的吧。
−ボカロって、独特のマナーがあるじゃないですか。そういった部分は、どう意識していましたか?
-Vocaloid裡不是有一些獨特的規則嗎?關於這部分是怎麼意識到的的呢?
並沒有去配合這方面的事。一開始的四首曲子都是使用自己的照片去做MV,後來才認識了繪師「東洋醫學」。在推特上投稿了我的曲子的粉絲圖,直接私訊我「要不要一起做MV啊?」就這樣開始合作。這才初次使用了插畫、做了像VOCALOID般的MV。
−TwitterやSNSを通じて他のクリエイターと垣根なくコラボレーションできるって、いろんな人にチャンスが平等に与えられるプラットフォームですよね。
-通過推特或SNS可以跟其他創作者毫無隔閡的合作,是能公平的給不少人機會的平台呢。
−そういった中で神山羊さんが支持される所以は、どういうところにあったのでしょう?
-那之中神山羊被支持的原因,是哪部分呢?
我真的沒有感覺自己變得受歡迎。沒有所謂的Vocaloid代表曲,也沒有作為VocaloidP熱賣的感覺,就這樣一直持續活動到現在。不過一直想要嘗試把Vocaloid文化跟自己最喜歡的音樂混合的形式。
−ファーストアルバムは「しあわせなおとな」、先日リリースしたミニアルバムは「ゆめみるこども」。神山さん自身は大人と子ども、どちらの側にいるという感覚ですか?
それを意識しなければならないと思ってる人の方が大多数だと思うんですけど、子どもとか大人とか、自分のことを意識することって、あまりないんです。
我想認為必須意識到這件事的人占大多數,不過不論是孩子也好還是大人也好,我是不太意識到自己的事情的。
−このタイトルに込めた思いは、どういったものだったのでしょう?
二つで一つの作品なんです。「しあわせなおとな」は、大人の葛藤を切り取っていて、街を歩く人々をぼんやり眺めて、生活の様子とか、帰ったら何をするのかとか、どうやって死んでいくのかとか…想像を巡らせて曲にしました。「ゆめみるこども」は、子どもの目で見た大人の姿や憧れが、成長の過程でどのように揺れ動き、大人に対する思いがどう変化するのか。そして、自分自身がどうやって大人になるのか。そんな時間の流れを描いたものになっています。二つの作品がつながって、ぐるぐる回るようなイメージですね。
兩者即是一體的作品。「幸福的大人」是擷取大人的糾葛、呆望著街道上的人們、他們的生活、回家之後會做什麼、會如何的死去之類的…讓想像自由地發揮製作成曲子。「作夢的孩子」是以孩童的眼光看待大人以及對大人的憧憬,成長的過程中會如何的動搖,對大人的看法會產生怎樣的變化。然後,自己會如何成為大人。描繪著像這樣時光而做成的。兩個作品彼此相連、輪迴流轉的感覺。
−「ゆめみるこども」はどんな構成なのでしょう?
-「作夢的孩子」是怎樣的結構呢?
全部有八首曲子,是模仿小朋友成長到二十歲左右的成長過程所作的曲子。
−神山さんは今まさに、夢を叶えつつあるのかな、と思うのですが。
-神山先生會覺得現在就像是不斷地實現夢想嗎?
不,完全還沒呢。從小的時候就一直只想做自己能接受的東西。不過能100%接受的幾乎沒有。一次都沒有呢。
−売れる音楽をつくることと、納得のいくものを生み出すということは、常に一致するわけではないですよね。
-製作能賣的音樂與製作自己能接受的東西,通常都無法一致呢。
我曾經無法忍受這樣的差距,因此而放棄了音樂。不能持續製作喜歡的音樂那乾脆放棄好了。所以現在也盡量不要過於思考市場或是需求的事情。能拯救自己的只有音樂了。即使不斷地回想過去,稱得上是愉快記憶的也只有被音樂環繞的時候了呢。
−今月のNYLONはユース特集号です。音楽を愛するユース世代にメッセージをいただけますか?
-本月的NYLON特集號。可以給喜愛音樂的青年世代一句話嗎?
沒有任何話能夠告訴年輕世代的人呢。因為很多事情都做得不好。真的。
−うまく生きられない人にも道がある、というのは、素晴らしいことだと思いますよ。神山さんはそれを体現されていて、人々の希望になるんじゃないかな、って。
-「無法好好生存的人也有屬於他的道路。」我認為這句話的內容非常的棒呢。神山先生正體現著這句話、並且成為人們的希望呢。
− 一度会社員になってから、諦めずに音楽の道に進む決断ができたのは、どうしてですか?
-曾經一度成為上班族,卻沒有放棄而決定邁向音樂的道路,為何會做出這樣的決定呢?
所謂的沒有放棄啊…。在當上班族的時候,我並沒有把工作納入生涯規劃裡的自信,因為對上班生活不適應嘛。再說也已經一無所有了,像是活在零以下的生活著,並不是因為不放棄音樂而辭掉了工作。這是正面的人的思考方法吧。我則是能夠當作代價付出的東西都沒有。
−苦労があったけどそれを乗り越えて頑張った、みたいな典型的な美談とは違うってことですね。
-並不是「雖然很辛苦但是努力克服了困難」這類的典型佳話對吧。
沒錯,完全不同。我想我並不是為了要改變什麼而去努力,而是無可奈何的。
−弱さを携えながら、音楽を生み出して発信する。こうして雑誌に出ている姿自体が見ている人に何かを訴えると思います。
-伴隨著著弱小、一邊製作並傳遞音樂。我想神山先生是想要傳遞給在雜誌上看見自己這個模樣的人什麼的。
那就是「願望」。我只是在想,或許會有我不認識的人從VocaloidP變成創作歌手還出了很多專輯。不過即使如此,若是有從地下文化出來的人,並且在像這樣知名的雜誌內刊出的話,能夠成為各位開始思考「或許我也做得到」、「或許我也能辦到」的契機也說不定。我想現在這樣就好了吧。
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本篇翻譯斷斷續續的才翻完,翻到最後有些腦袋不清楚,
也有很多不懂的地方,如果看得懂原文的人就直接看原文比較好XD
也有很多不懂的地方,如果看得懂原文的人就直接看原文比較好XD
看了羊講述自己的個人經歷後,覺得跟自己稍微有些對到。
尤其是感覺到自己是一無所有、也沒有什麼好失去的了,這個部分。
尤其是感覺到自己是一無所有、也沒有什麼好失去的了,這個部分。
謝謝羊讓我覺得我也能做到某些夢想的事情。
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